個人作家の使命


   一

 私は処々でこの問題に触れてきたが、もう一度まとめて書いておきたい。

それに今まで言い残していたことも多いように思う。

 哲学でも宗教でも芸術でも近代になるに従って個人の所産になった傾きが

ある。ものの見方が何かにつけ個人中心である。謂わば天才主義であり、英

雄崇拝である。かりに芸術史をとって来よう。殆ど凡ての頁が著名な芸術家

の列伝のような観がある。個人の作でないものは歴史的意義が薄いようにさ

え見える。一個の無銘な優れた作があると、批評家が代わって誰々の作と推

定して了う。それが出来ないような場合でも、作物を或る卓越した個人の仕

事として理解する。

 裏から云えば一般の民衆は平凡なものとして歴史から消されて了った。い

つも崇められるのは少数の個人で、集団をなす大衆ではない。こういう個人

主義的な時代では、工芸のような民衆の生活と関係の多いものも、個人的に

取扱われた。否、個人的に批評し得るようなものだけが認められた。所謂芸

術家、即ち個人作家が重要な位置を歴史に占めたのも無理はない。裏から云

えば職人の工芸は下積となって存在の影がいたく薄い。

 立派な作を産んでくれる天才を讃えることは自然である。又そういう作を

有つことは人類の喜びとも云える。個人の深さには人類全体の深さが結晶し

ているとも云える。だが個性を尊ぶのはよいが、一旦それが個性主義になっ

てくると、色々の誤謬や弊害が生じる。第一は個性の薄い民衆への軽蔑が伴

う。民衆へのこの冷淡は、民衆への救いを遮って了う。職人の仕事がそのた

めに段々下落して了った。こうなると益々少数の天才ばかりが、立派な作を

産めるのだという考えが強くなってくる。世間では銘の入ったものだと信用

する。そうして遂には物を見ずに名で買うようにさえなった。

 この結果、個人作家の使命はどう解されているか。職人の仕事などが到底

追従の出来ぬ作品を産むことが誇りである。個性的なもの、思想的なもの、

神経的なもの、技巧的なもの、様々の方向に個人の力が集中された。なぜな

らそれ等のことは、教養の無い職人達の到底企て及ばない高い領域である。

一言で云えば個性主義は個人作家と職人とを区別して了った。その結果個人

工芸と民芸とは分離し対立して了った。所謂「工芸美術」と「工芸」との差

が判然と分かれて了った。美を目的とするものと、実用を目的とするものと、

上下に分かれて了ったのである。そうして実用を旨とする職人の工芸は、下

賎なものとして歴史的意義が稀薄になった。かくして民衆が立派な工芸を産

む機縁が絶たれて了ったのである。最近の民芸の堕落はその結果である。少

数の天才だけが仕事らしい仕事をして、大衆はそれに参与する折がなくなっ

たのである。そのため一般民衆の美意識は非常に低下している。買い手にも

よき選択力はなく、作り手にもしかとした目標がない。作家達は彼自身の作

家達であって、民衆と協力し、民衆を指導し、民衆を守護する作家ではない。

寧ろ民衆をわらい民衆から離れることに彼等の仕事の高さを感じるのである。

放棄された民衆はかくして正しい美意識を喪失した。民衆には今美の目標が

ない。伝統的に僅かに残っている品だけが、比較的今も美しいのは昔の目標

が今も続いているからである。非伝統的な最近のものにこの目標はない。そ

れ故道を踏みはづすに至ったのである。今出来の実用品にはよいものは非常

に少ない。私は工芸全般の凋落を、個人作家と職人達との分離に帰したい。

昔はかかる分離がなかったのである。あっても極めて僅かである。


   二

 秀でた個人が立派な仕事をすることは過去に於いても現在に於いても、又

未来に於いても変わりはない。だが歴史は波を描いて進む。個人のみが尊ば

れた態度は、今や過去のものになりかかっている。これに反し大衆が新しい

意義に於いて、頭を擡げている。ホイットマンが彼の詩で歌ったような「民

衆」とか「集団」とか「平常」とかいう平易な領域に新しい意味が見出され

てきた。私は工芸に於いてもこのことが将来重く見られるようになることを

信じる一人である。

 もとよりいくら民衆の意義が高まろうと、偉大な天才の価値に変わりはな

いが、併し個人作家の使命に対する見解には、極めて大きな変化が来べきも

のと思う。古い意味での個人作家の立場は当然死にゆくもの、死すべきもの

と考えられる。そうして新しい意義に於いて、もう一度その使命が反省され

ねばならないのを感じる。

 今日まで個人作家は彼独りが作り得るもの、他人のよく従い得ないもの、

謂わばその特殊性に彼の意義を感じた。裏から云えばそれは民衆を指導する

作品ではなく民衆の接近を許さない作品である。その結果工芸は益々狭い尖

鋭な仕事に極限された。今の作家達は民芸には冷淡である。宛ら自分達と職

人とは生まれが違い階級が異なると考えるように見える。民芸の発展のため

に作品を準備する作家は殆どいない。否、今日までかかることに個人作家と

しての意義があるとは夢想だにしなかったのである。併し将来は大衆と離反

する天才ではなく、大衆を支持する天才が論じられてよい。民芸と縁がない

ことに於いて作品の高遠さが論じられるのではなく、それがどれだけ民芸に

親しく交渉し得るかによって、その価値が論じられる日が来てよい。言い換

えれば、職人達のよき指導者としての、又よき協力者としての個人作家の立

場が当然考えられねばならない。今尚個人主義的な立場が固守され、民芸の

発展が杜絶されているから、私は一応このことをはっきりさせておきたいの

である。


   三

 少なくとも最近では個人的立場に大きな動揺が迫っている。今までのよう

に民衆と交渉のない工芸の名声は地に落ちるであろう。そうして民衆の協力

者としての作家的立場が重く見られるに至るであろう。恐らくこのことがな

い限り、工芸全般の向上は来ない。

 作家達は今どういう態度を採っているか。他の誰も造ることの出来ないよ

うな作品を得意とする。そのことに個人的独創性を感じるからである。意匠

の斬新とか、形態の新奇とか、技巧の精緻とか、新手法の発見とか、新材料

の工夫とか、他人の追従を許さぬ作物を産むことに注意をむける。従って誰

も真似出来ないもの、二度と繰返されないもの、そういうことに誇りがある

のである。そうしてこれが社会的位置を得る所以であり、経済的保障の道で

あり、又審美的優越であると考えられたのである。

 併しそれは狭く又排他的な考えに過ぎない。古来工芸家には秘密が多く、

歩く道は余りにも個人的である。質に於いても量に於いても特殊である。他

と交わる機縁を避けるからである。この世をよくしようとするよりも、自分

だけをよくしようとする傾きが強い。併し真に深い個人は人類を代表する個

人であってよい。人類と自己との隔離は、却って自己の意味を活かさない。

今まで踏まれてきた個人作家の道には、当然指摘されるべき欠陥が多い。

 追従を許さぬ独自の作を造ることは一つの価値ではあろうが、唯一つの価

値ではない。又それを個人工芸の最高の性質と考えることは出来ない。果た

してもっと巨大な道が他にないか。不思議にも個人作家でこのことを反省し

ているものが殆どいない。まして作家として新しい道を切り拓く者が殆ど見

当たらない。だが今までの態度に疑義を差し挟むべき多くのものがあろう。

その個人的考えが、どれだけ作物を深めたか。特に将来に於いてその行き方

がどれだけ工芸界に貢献するか。個人作家にも社会人としての責任はないか。

彼自身の作のみを美しくするより、工芸全般の向上のために、自己の作を準

備すべき使命はないか。彼の社会的責任は仕事を個人的内容に止めさすであ

ろうか。


   四

 私はこう想像しよう。ここに誰にも出来ない作で美しいものと、誰にも出

来る作で而も美しいものがあったとする。私は後者の方にずっと心を惹かれ

る。なぜなら、後者の方が社会的意義に於いて更に深いと考えられるからで

ある。これによって多くの美しいものが生まれることが約束されてくるから

である。そうして誰にも美しいものを作ることが許されてくるからである。

美しいものが少量の世界から解放されるからである。

 仮りに美に達する道に非常に困難な道と、容易な道との二つがあるとする。

若しここに或る個人作家が出て、その易行道を示し得たとするなら、彼の社

会的意義は巨大なものであると考える。何故なら大多数の民衆は易行道によっ

てのみ美に達することが出来るからである。難行道は彼等の通り得る道では

ない。少数のものだけが為し得る仕事は、工芸の道としても狭い。

 仮りに一人でなければ現せない美と、協力によってのみ現せる美とがある

とする。私は後者の方が、更に多くの幸福を社会に約束すると考える。仕事

を一私人に局限するより、広く社会に拡大することは、人類の希望であり意

志である。さもないと人類全体の位置は低下する。仕事が個人に止まる間、

社会は美しくならない。否、醜さの方が増してくる。

 仮りに一枚の皿に絵付けをする。誰にも描けないような個性的な絵と、誰

でも熟練さえすれば出来る絵とがあったとする。今までは前者がひとり謳歌

されたが、非個性的な絵の美しさが、如何に工芸の性質に適うかがもっと深

く考えられてよい。個性の癖は美から云っても終わりのものではない。誰が

描いたか、それを問う必要がなくなることは、工芸にとって幸福である。

 今日まで個人作家の仕事は自分一人の仕事をすることであったが、今後は

他人と仕事の喜びを共にすることに方向が変わるであろう。誰が携わっても

同じように美しいものが産めるその道を作家達が示し得るなら、それは目覚

ましい仕事ではないか。自分が仕事をすることと、他人が仕事をすることと

が結ばれてくるからである。かく考えると追従を排斥した個人道は、協力を

尊ぶ非個人道へと転ずるであろう。作家の任務は工人達との結合にある。多

くの人の真似てよい仕事、ついてきてもらいたい仕事、一緒に歩みたい仕事、

容易に倣える仕事、誰でも携わり得る仕事、数多く生まれる仕事、民衆に開

かれた仕事、かかる仕事こそ価値内容が莫大である。それはもはや孤独では

ない。隔離ではない。多くのものの手本であり、指導であり、又僚友である。


   五

 私の考えでは自分一人だけが立派なものを作れるという喜びより、皆と共

に立派なものが作れるという喜びの方が内容がずっと大きい。自分一人が救

われるということは最小の喜びであってよい。そうして他人と共に救われる

ということこそ最大の喜びであってよい。将来の個人的作品の価値は、それ

がどれだけ厚く民衆と交渉し得るかということで決定されよう。民衆にも作

り得るよい手本を示すことこそ、個人作家の新しい仕事である。

 民衆に出来るようなものは平凡なものだと非難する人もあろう。又それは

工芸の格を引き下げることだと言い張る人もあろう。併し非凡なもの、異常

なもの、稀有なもの、必ずしも美しいとは限らない。否、大概の場合は癖が

目立ち臭味が強く、変態なもの極端なもの病的なものと結びつき易い。それ

はよい場合でも危険の多い道筋である。これに反し平凡と云われるもの必ず

しも平凡ではない。知的に無教育な職人の作が、直ちに凡俗だとは決して云

えない。否、古来の名器は大部分が職人の手で出来たのであって、寧ろ平凡

な世界から生まれている。若し非凡なもののみ美しいなら、民芸の如き平易

な領域には、美しいものがない筈である。併し事実はそれを肯じない。渋味

をもった器は、悉くと云いたいほど民芸品の中に発見される。「大名物」の

如き、平凡さから来る非凡さである。それが若し平凡な民芸品でなかったら、

非凡な美しさを有つものとはならなかったであろう。

「平常心是道」と南泉禅師は云ったが、異常に見ゆるものは却って波瀾葛藤

の境地に止まり、未だ至らざるものと云ってよい。坦々たる大道は平凡に見

えても本通りである。荊棘の多い嶮道も一つの道ではある。併し最高の道で

もなく又最後の道でもない。私は大道の美を遥かに讃えるものの一人である。

 誰も安全に往き来出来るその大通りを工芸のために見出したい。工芸に於

けるかかる大通りが何であるかを示すことこそ、将来の個人作家の大きな任

務である。道を見失った民衆には道しるべが必要である。作家達が自己一人

に立てこもることは、工芸を向上させない。それは過ぎ去るべき態度に過ぎ

ない。

 私がこのことを主張するのは、民芸の勃興が工芸にとって絶対的に必要な

のを感じるからである。ひとり個人工芸が栄えても、一方民芸が栄えない限

り、工芸の王国は来ない。今日民芸が凋落してきたのは、作家達の立場に社

会的誤謬があるからである。作家と職人との分離は工芸の悲劇である。如何

に職人と異なるかが誇りである時代は過ぎ去るであろう。何人も携わり難い

作品への自負はやがて壊滅するであろう。これに反し将来は彼等の作品がど

れだけ職人達に役立っているかによって注意されるであろう。彼等は指導者

たる使命を負びるのである。誰にも出来ない作に腐心することではなく、誰

にも出来得る美しい作を、指南することに彼等の使命があるのである。それ

故彼等の作がどれだけ深く民芸に交渉し得るかが、評価の目標となるであろ

う。

 個性の道も一つである。併し個性を超えた道は更に大きな仕事をする。彼

は自からを救うのみならず他をも救うからである。否、他を救うことによっ

て、最もよく自からを救うからである。個人作家は師表でなければならぬ。

民衆は則るべきものを有たねばならぬ。作家は先駆者である。民衆は大成者

である。この間に交渉なく調和なくば「工芸時代」は来ない。

 それは道徳に於いてと同じである。常に自己の作が人々によって真似され

ても差支えないように準備せねばならぬ。進んで又他からも真似し得るもの

でなければならない。この平明さより偉大な内容はないからである。それは

万民の則るべき手本、則り得る手本でなければならぬ。併しそれは自己を下

げる意味ではない。民衆を上げる力である。自己を深く掘らずばこのことは

出来ない。これに反し他を排し自己のみを守る道は、自己を傷け他を害う道

であるのを知らねばならぬ。

 個人作家の使命はその新しい意義に於いて最も重大である。


                   (打ち込み人 K.TANT)

 【所載:『工芸』 第11号 昭和6年11月】
 (出典:新装・柳宗悦選集 第7巻『民と美』春秋社 初版1972年)

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